日々悪戦苦闘している母親の介護ですが、最近母親に訓練というか頭を使ってもらう為に文字を書く練習や簡単な足し算や引き算などをやっているのですが、そんな中でお金の計算とかもやることがあるのですが、ほとんどわかっていません。
すぐ近くの母親の鞄には財布とその中には数枚のお札が入れてあるのですが、もちろん1年以上使った事はありませんし、財布を取り出そうとした事さえありません。
つまりお金の意味がよくわからないから使おうと思わないということなんです。
私は日々、生活に必要なお金を確保しつつ、出来れば少しでも多くのお金を稼げたら!と思い生活していますし、日常生活でも揉め事や口論の90%以上はお金が関係している!と言っても過言ではない状況です。
ですが、母親のお金が必要なくなった状態を目の当たりにしていると、最近、”お金は使える間だけ必要なもの”という思いが頭をよぎる事があります。
そんな事言われなくてもわかってる!と思っていたのですが、どうやら現実的には理解してるつもり!だったのではないかと・・・。
自分にはお金が必要なくなる時はまだまだ先だ!と思い込んでいるだけだったのではないという気が母を見ていると時折感じられてきます。
ほんの1年前までは母もお金が必要だったし、現にお金を使っていたんです。
本人もまさか急にこんな日がくるとは思ってなかったと思います。
自分が自分でお金を使える日があとどれくらいあるのだろう?それは自分の寿命とイコールなんだろうか?それとも今の私の母の様にイコールではないのだろうか?日々衰えていく母を見ながらそんな事を考える事があります。
『死に方用意!』僕が日々心に秘めている言葉ですが、母親と同じ様な年代になった時に自分はどうなっているんだろう?母親から教えてもらいます。
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