健康寿命を終えた先にあるものとは?生きるとはどういう事なのか?

健康寿命を終えた先にあるものとは?生きるとはどういう事なのか? 天翔のブログ
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健康寿命と平均寿命

最近読んだとある本に人間の寿命には2種類あり、平均寿命と健康寿命というものがあるんだと書かれていました。

詳しく説明すると長くなるので、そちらは本にお任せして割愛しますが、ざっくりいうと、平均寿命とはまさにその人の寿命であり、死という意味で、健康寿命とは死ではなく生きてはいるけれど、自分で自分の事ができなくなった時点までの事を健康寿命というのだと書かれていました。

私は現在、認知症とパーキンソン病を患っている母親を自宅で介護しながら生活していますが、自立歩行もトイレもお風呂にも自分でも入れませんし、文字も書けないし、お箸もうまく使えないし、一人では生活する事は不可能な状態です。

この現状の母親の状態こそが健康寿命を終えて平均寿命との間にいる状態なのだと思うのです。

母親が一人で生活できなくなったのは3年くらい前からで現在は76歳、女性の平均寿命は約88歳なので、73歳くらいに健康寿命を終えたとして仮に平均寿命である88歳まで生きたとすればおおよそ15年間が健康寿命を終えた状態で過ごした期間ということになります。

もちろんこれは必ず健康寿命とその後の寿命との差が発生するわけではなく、例えば元気に高齢になっても自分で生活できてある日老衰などで朝、布団で冷たくなっているという人もおられれば、ガンを宣告されて病院でお亡くなりになる方もおられます。

こういった場合には健康寿命とその後の寿命との差はほとんどなく、この話はわかりづらいと思います。

ですが、自宅で介護をされながら生活している人にとってはこの健康寿命の終わりという言葉はよくわかると思うのです。

介護される様になった本人は当然辛いと思います。今まで当たり前の様にできていたことが突然できなくなったり、あるいは私の母親の様に日々、徐々に体が動かなくなっていくというのはとんでもない不安と絶望感に苛まれると思いますし、周りで介護している方にも精神的にも肉体的にも負担がかかります。

いつも見ていて思うのですが、こういう状況になって果たして生きる意味てあるのだろうか?本人には聞かなくても生きていて楽しいはずもないだろうし、周りに迷惑をかけて申し訳ないという罪悪感を感じて生きているだけの様にしか見えなくてなんとも言えない気持ちになるんです。

もしも自分が同じ立場になったら・・・。今、こうして幸いにも自分で動いて生活できていますが、遠くない未来に同じ様な事が起こらないとも限りません。

願わくば先ほど少し述べましたが、ガンなどで余命宣告をされて長患いをせずに人生を全うできたらいいのにな~と思う事が多いです。

こちらも別の本に書いてあったのですが、死とは何か?みたいな本でどんな死に方がいいか?みたいな記述でお医者さんはガンがいい!という方が多数だと書かれていました。

最近では緩和ケアというものが充実していて、以前より死の際の痛みというものが和らいでいるそうで、私も一度大腸がんを患ったのですが、その時はまだ若かったので、現在の様な心境はなく、おかげ様で今日まで生きながらえているのですが、ここ数年は人生の最後はガンがいいかな~とつくづく思ったりします。

少し話が逸れましたが、健康寿命を終えた後に残された寿命までの時間が多かった場言、どうすれば幸せな生活を送れるのか?私は最近こればかり考えているんです。

ですが、なかなか答えが見つかりません。いろんな本を読み漁っても答えは見つかりません。

自分の事が自分でできなくなってしまった時に幸せに生活する方法なんてないのかもしれません。

私の母親は現在、その状態の真っ只中で、この先いつまでこの状態が続くのかもわかりませんし、状態は日に日に悪化していっている状態で、おそらくは遠くないうちに寝たきりになってしまうのではないかと思います。

現在までの3年間、これから寿命までの時間、これはもしかすると私たち残される未熟な者への試練なのではないか?禅の教えであればそんな風に思えるのかもしれませんし、もしかしたら母親が最後に人としての道を教えようとしてくれているかもしれないなと。

この先、高齢化が進む中で健康寿命を終えて尚、しばらく生きなければならないという方が増えてくると思います。

生きるとはどういう事なのか?健康寿命を延ばさなければ、生きていても辛いだけなのでは?私の寿命はできる事ならば健康寿命と寿命との差がない事を祈るばかりです。

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