令和2年初『いしゃ先生』という映画に感動しました。

いしゃ先生 天翔のブログ
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志田周子いしゃ先生

令和2年に入りいきなり風邪をこじらせて体調を崩し、自宅で療養していた時に、ふと動画でも観てみようと思いたち、何気にAmazonprimeビデオを探していると、ふと1本の作品がめにつきました。
タイトルは『いしゃ先生』というもので、平山あやさんが主演だったので目についたのもあるのですが、タイトルが妙に気になったので観ることにしたんです。
タイトルから推察するに女医さんの奮戦記的な物語なのかな?という推測を抱いていたのですが、実際には実話に基づく話で、非常に感動的な作品でした。
まさかこんな作品だとは思っていなかったので、見終わった後には久しぶりに何か心にこみ上げてくるものを感じました。
では実際にどんな映画だったかというのを簡単にご説明しますと、昭和10年出羽三山の主峰・月山の麓を急ぎ歩く女性、志田周子(ちかこ)26歳。
故郷の父から『ハナシタイコトアリ スグカエレ』という電報を受け取った周子は、取るものもとらず帰郷します。
山形の農村出身の彼女は、努力して東京女子医専(現・東京女子医大)に入学し、医者になったばかり。
8年ぶりの帰郷でした。だが帰郷してみると、どうも父・荘次郎の様子がおかしい。
大井沢村の村長だった荘次郎は、周子の了承も得ぬまま周子名義で診療所建設の予算を通しすでに建設が始まっていたのです。父、宗次郎は「頼む、周子。3年だけお前の人生を俺にくれ。その間に必ず代わりの医者を見つけるから」父に頭を下げられるのでした。
無医村のこの村に医者を置きたいという父の願いは、誰よりも理解していた周子は、まだまだ未熟な自分が一人で診療所の医師などつとまるのか……不安を抱えつつ、3年間だけ頑張ってみようと心に決めて、東京にいる想い人の存在を気にしつつも必死で故郷の人の為に努力することに。
しかし、周子先生への村の人々の風当たりは強く、当時は皆保険制度のない時代。
村の人々には医者に診てもらう余裕などなく、心無い噂と共になかなか周子の診療所は受け入れてもらえず苦難の日々が続くことに。
結局3年という約束は延び、想いの人とも結ばれず、生涯独身で周子先生自身が食道がんで51歳というあまりにも早すぎる若さでその生涯を閉じるんです。
この映画はその生涯を故郷の診療所に捧げて奮闘した生き様を描いた映画です。
私は話の途中まで、皆保険制度がなかった時代の話だということに不覚にも気づいておらず、後半になってようやくそのことに気付いたんです。
はっとしました。今の自分がなんて呑気なんだと少し心苦しくなりました。
今でこそ皆保険制度のおかげで、日本の医療は誰もが安心して受けられる様になりましたが、当時はそういった制度がなく、お金がないから!という理由で受診できなかったんだなということをあらためて思い知らされた映画でした。
加えて、現代ではそう珍しくない女医さんですが、その当時は相当珍しかったでしょうし、女性が医師になるには相当な努力が必要だったろうなという事は、想像に難くありません。
この映画は見終わった後に、胸にこみ上げてくるものがある非常に素晴らしい作品でした。
もしも体調不良にならなかったら、この作品と出会うことはなかったか、もしくは随分あとになってからの出会いになったかもしれない!と思うと、まさに『怪我の功名』とだなと風邪にも感謝したくなりました(笑)。
本当にいい作品だったので、Amazonprimeビデオをご覧になっておられる方には是非一度ご覧になってみてください。

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