今回はみなさんご存じの連合艦隊司令長官『山本五十六』といえばこの名言!という言葉。
『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。』を取り上げたいと思います。
私も大好きな言葉の一つでして、この有名な名言には続きがあることをご存じでしょうか?もしもご存じならばかなり名言に詳しい方かもしれませんね。
じつはこの有名な言葉のあとに『話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。』ということばあるんです。
最初のことばの方があまりにも有名なので、続きの言葉をご存じない方も多いと思いますが、言葉としては続きというか後の言葉の方が私個人としては好きです。
現代社会においては続きの言葉はあまりにも当てはまることが多いと感じるからです。
この言葉は世間一般で今なお愛されている理由として言葉の意味を深く読み解いていくと・・・。
子は親の背中を見て育つ。
子は親の鏡・・・。
部下は上司の姿を良く見ているもの。
口では立派なことを言っても、行動が伴っていなければ聴く耳は持たないし尊敬もされないから、上司の小言と部下の態度は堂々巡り。
まずは、自分がやってみせる。
といったとこでしょうか?無二の博打好きでも知られる山本五十六ですが、当時の連合艦隊司令官という職責は軍令部の最高の地位ではなく、戦時中は長野軍令部総長や軍令部と意見を対立させる場面もしばしばあったそうです。
そんな話の中でも特に有名なのは、アメリカとの開戦そのものに山本五十六は難色を示したいたことです。
ですがハルノートを突き付けられて開戦せざるを得ない状況に追い込まれた状況では山本五十六も承諾する他はなく、開戦するなら短期決戦以外に日本が勝利する道はない!という考えを一貫して唱えていました。
しかし大本営も軍令部も山本五十六の意見とは違い、連戦連勝の慢心があったのか、日本が負けるはずがない!という考えで山本五十六の考えを臆した考え!と揶揄することさえあったそうです。その為に山本五十六と上層部は度々意見を対立させ、それでも山本五十六がどうしても!という時には『この提案が通らなければ俺は連合艦隊司令官を降りる!』といって長野軍令部総長を説得した話も有名ですが、それだけ部下からは慕われながらも、上層部とは意見を対立させる!そんな苦しい立場の中で生まれた数々の名言だけに、今なおこの言葉に感銘を抱く人が多いのではないかと私は思います。
終戦前のブーゲンビル島上空でアメリカ軍機に撃墜されずに山本五十六が終戦後も存在し続けていたとしたら・・・。
もしかしたら私は終戦の方法が違ったのではないかと思うんです。
原爆投下をされる最後の最後まで降伏を決断できなかったという悲惨な最後とは違った方法で終戦できたのではないか?私は山本五十六を思う時、いつも山本五十六が存在した終戦とは?の様なことを想像してしまうんです。
『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。』
※人は動かじのじはずに置き換えられることも多いです。
私は丸暗記していますが、みなさんはいかがでしょう?子育て中のお母さんや部下を持つ管理職の方、また経営者の方なら暗記されている方も大勢おられるかもしれないですね。
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