介護の辛さから解放と引き換えに訪れる心の辛さに悩む日々

介護の辛さから解放と引き換えに訪れる心の辛さに悩む日々 管理人ブログ
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母親が入院生活をはじめてかれこれ3か月が過ぎようとしています。

病院は2回転院をしましたが、頻度の違いはあれどどの病院でも面会の制限はあって自由に会いに行く!という訳にはコロナが5類に移行してもいかない様です。

今日は週に2回の面会できる2度目の面会日で、母親に会ってきたのですが、会うたびに何とも言えない気持ちになってしまい、帰りはしばらくなんとも言えない気分になります。

自宅に戻り、ロストケアという介護を題材にした動画をたまたま観て、自宅で介護をしていた頃を思いだしながらなんともリアリティーのある内容だなと思ってしまいました。

介護をしていて大変な事は数え上げればきりがありませんが、最近になって振り返ると、まずは元気だった母親が介護が必要になってしまった!という現実を自分や家族が認識するのを拒んでいたのかな?と思います。

わがままになり、自分自身も介護が必要になってストレスがたまったりしてイライラしたり、粗相をしたりなどの身体的な介護の苦労ももちろんあるのですが、やはり自分自身がそんな母親の現状を素直に受け入れられていなかったのかな?と今になって思ったりします。

自宅で介護をしていた時は、私の妻が本当に頑張って介護をしてくれていたので、私と父親は何とか仕事を続けながら生活ができていました。

ですが、3人とはいうものの、日々のストレスは想像を絶するものがあり、暴言や時には手が出そうになる事は日常茶飯事で、ご近所にも怒鳴り声などが聞こえていたのではないかと思います。

自分の親に暴言を吐く、母親さえいなければ平穏な生活ができるのに・・・。

周りの母親と同じくらいかそれ以上の年齢の人が元気でいる姿を見て『なぜうちの母親だけが・・・』などと常に母親さえいなくなれば・・・。という事ばかりを思っている自分に情けなさを感じ、一番介護をしてくれている妻や父親への申し訳なさなど、なんとも言えない気持ちで毎日を過ごしていました。

その日一日が過ぎれば、『今日もなんとか過ごせたな』とその日その日のありがたさみたいなものを感じる様になり、少し先の予定というものも、あってない様なものだという事を実感する日々でした。

思えば、自宅での介護が始まってからは外食というものをした記憶がありませんでした。

母親が入院する事になってその日のお昼ご飯に中途半端な時間になったので、外食で昼と夜兼用で済ませてしまおう!という事で外食をしたのがおそらく3~4年ぶりだったと思います。

入院生活が始まり、最初の1週間くらいは静かすぎる生活に正直なところ、体も心もリフレッシュしたかの様な感じで、これが本来の生活なんだ!と休息の様な気分でしたが、その期間が長くなるにつれて徐々に寂しいというかかわそうという気持ちが襲ってくる様になり、身体的にはらくなんですが、何やら少し心には辛さみたいなものが徐々に大きくなってくる感じがします。

現在は退院して以前の様に在宅での介護はほぼ不可能という状態で、現在の病院でいつまで入院できるのかわかりませんが、期限みたいなものがあれば次の転院先を探して・・・。という事になってしまう状態なので、そうなると母親は自宅へのもう帰って来られないのか?と思うと面会が更に辛くなり、心の辛さもどんどん強まっていく感じがします。

自宅で介護をしている時は病院でも施設でもいいから何処かへ行ってほしい!と思っていたのに、現実にそうなると、今度は不憫に思えてきて・・・。

なんとも身勝手な事だとはわかってはいても、じっと見つめる母親の顔が何をしていてもふと脳裏に浮かんでくるんです。

介護とは本当に過酷で、きれいごとでは済まされない!実際に体験して初めてその大変さに気が付くものなんだなとあらためて痛感させられています。

私もまだ介護が終わった訳ではなく、この先の父親や妻の両親などこれからどうなるかわからない人が大勢おられますし、そういう私自身もいつどうなるかわからなくなりつつあります。

果たして私自身はどんな最後を迎えるのでしょうか?願わくばあまり周りに迷惑をかけずに最後を迎えられればいいのですが・・・。

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