トイレの神様ならぬトイレに行きすぎの母【我が母の介護の軌跡】

トイレの神様ならぬトイレに行きすぎの母【我が母の介護の軌跡】 我が母の介護の軌跡
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何度言い聞かせても従ってくれない。

伝わっていない!言葉が通じていない!という訳ではないみたい!でもなんど言っても同じことの繰り返し。

最近の我が家の日常の一コマ!母親のトイレ通いの回数が1日で数十回!24時間いつでもすぐにトイレに行きたがります。

昼間はともかく、さすがに深夜は寝られないので、パッドにおむつを履いているので、朝になったら交換するからそこでしてほしい!と説明するのですが、”気持ち悪い”とか”プライドが・・・”みたいな事を言いながら聞き入れてくれない。

このままでは周りが全然眠れないので困っている!と説明すると”わかっている!迷惑かけているのは・・・”という。

わかっていてやているなら性格悪すぎだろ!と心の中で叫びつつも病気なんだから仕方ない!ともこころの中で叫びながら、具体的な解決方法もないまま今日に至る。

一人でトイレに行けるのならそれはそれでも構わないのだが、認知症にパーキンソン症候群を患っており、一人で歩こうとするとバランスを崩して倒れる事が多いので、誰かがついていかないと危険だというのが厄介なところ。

ケアマネージャーさんに相談してみるも、結構この手の悩みは多いらしく、我が家の様に歩行の自由が利かない場合にはトイレに行きたがる人が多く、歩ける人は勝手に家の外に出て行ってしまういわゆる徘徊という場合が多いという。

夜中に勝手に出歩かれるよりはトイレに行きたがる方がましなんだろうか?という聊か理不尽にも思える良し悪しを考えながら、先の見えないゴールを目指して進んでいる。

癌などで余命宣告などがある場合とは違い、この種の高齢による介護の場合には本人にもストレスや自由にならない辛さもあるのだろうが、周りがだんだんと追い込まれていく様な感覚に苛まれていくのが当事者に立場になるとよくわかる。

我が家は4人家族で、母親を同じく高齢だがいまのところは元気な父親が中心になり、私と妻の3人で介護しているわけだが、親一人子一人で介護をしないといけない場合にはどれほど大変なんだろう?と思うと想像したくないという気持ちにさえなってくる。

今の母親にとってトイレにいくというのは要を足す!ということではなくて、いくことで安心する!という意味を兼ねているのかもしれないが、それにしても自宅で介護をしていくというのは何とも辛いものである。

まだまだ始まったばかりだと思うので、何とか最善の方法を模索しつつ年末年始を無事に乗り切っていきたいと思う。

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